ラグビーワールドカップ2019年のメンバーである、木津悠輔選手。
「無名の星」と言われている選手ですが、どんな経歴を持っているのでしょうか。
この記事では、木津悠輔選手の出身高校や大学、経歴についてまとめました。
木津悠輔のwikiプロフィール
出典:Instagram
名前:木津悠輔(キヅユウスケ)
生年月日:1995年12月2日(23歳)
出身:大分県
身長:179cm
体重:113kg
ポジション:PR(プロップ)
大分県出身で小3から中3まで打ち込んだ剣道は2段の腕前を持ち、スポーツ万能な木津悠輔選手。
プロのラグビー選手では幼い頃からラグビーを始める人が多い中、木津悠輔選手は高校生からのスタートでした。
それが今ではラグビーワールドカップの日本代表選手に選ばれるまでの実力に。
木津悠輔の出身高校は大分県立由布高校
出典:Twitter
木津悠輔選手の出身高校は大分県立由布高校。
偏差値は40前後で、地元密着の県立高校です。
木津悠輔選手は度々母校を訪れて、現在選手4人、女子マネジャー3人のラグビー部員と交流を持っているそう。
由布高校に進学した理由は、同じ中学から由布高へ進んでいた先輩から同高ラグビー部の存在を教えられ興味を持ったから。
しかし、当時の木津悠輔選手は高校でラグビーを辞める予定だったようです!
その想いを変えるキッカケになったのは、5-111で敗れた県大会の試合でした。
「2年目の県予選で先輩たちが負けて引退した時、『来年のこの時期になると、自分のラグビーも終わってしまうのかな』と寂しくなる部分もあって。そこから先生に『大学でできませんか』とお願いして…。(もともと)消防士になりたいと思っていてあまり大学に行く気はなかったんですが、先生は口を酸っぱくして大学に行けと言われていました」
引用:rugby-rp.com
今ラグビー選手として活躍していますが、元々は消防士になりたかったとは。
消防士としてもきっと活躍されたと思いますが、
ラグビーをもっと続けたいと気持ちに正直になったからこその、現在の活躍につながっているんですね。
木津悠輔の出身大学は天理大学
高校疎通業後の進学先は、天理大学。
ラグビー部が有名で関西大学Aリーグの強豪です。
ここでかねてからの頑健さを活かし、頭角を現していきます。
大学3年では、全国大学選手権で4強入り&若手育成グループのジュニア・ジャパンに。
この頃から木津悠輔選手は、「世界でも通用する」との想いが出てきたようです。
「大学でトップリーグから声がかかり始めて、自分がそういうふうな選手なのだと思いはじめて。ジュニア・ジャパンに初めて呼ばれ、サモア、トンガという外国の選手とやって、負けない部分もあって。(世界で)やっていきたいなと」
現在はトヨタ自動車ヴェルブリッツに所属
出典:rugby-rp.com
そして大学卒業後はトヨタ自動車に所属。
国内最高峰のトップリーグで主力に定着していきました。
入って早々に、ジャパンラグビートップリーグにて先発出場で公式戦初出場を果たしました。
またパシフィック・ネーションズカップのフィジー戦にて勝利し、途中出場で日本代表初キャップを獲得しました。
出典:Instagram
同時に選手の国と国の誇りをかけたナショナルチーム同士の国際試合の出場回数を示す単位として理解されている。
木津悠輔の経歴!「無名校の星」ってどういう事?
ところで、木津悠輔選手の記事で目にする「無名校の星」とはどういう事?
と思った方もいるかもしれません。
このように言われるのは、プロになっている殆どは幼い頃からラグビーを始め、高校はラグビーの強いところに進学する人が圧倒的に多いからなんです。
五郎丸ポーズで有名になった五郎丸歩選手を例に挙げてみますと
五郎丸選手は、
・3歳でラグビーをはじめ、小学時代はジュニアラグビースクールに入り
・ラグビー競合校の佐賀工業高校に進学
一方、木津悠輔選手は、
・高校からラグビーをはじめ
・高校もラグビー強豪校とは言われていない地元の由布高校に進学
してるんですね。
だから、「無名校の星」と呼ばれる事が多い。
この肩書は、スポーツファンからは注目されやすいんです。
しかし木津悠輔選手ご本人は、
「自分は無名校出身のトップ選手ではなく、ひとりのトップ選手として務めを果たさなくてはならない」
と考えているようです。
無名校だからは関係なく、経歴に甘えない姿勢が素晴らしいですね。
まとめ
ラグビーW杯の日本代表選手である木津悠輔選手について書いてきました。
大分県出身で、ラグビーとしては無名である由布高校出身で無名校の星と呼ばれている木津悠輔選手。
さらなる活躍を楽しみにしています。
最後までお読み頂きありがとうございました。