こんにちは!悲しいニュースが入ってきました。
なんと中森明菜(53)の妹で、元アイドルの明穂さんがなんと52歳の若さで世を去られました。
ご冥福をお祈りします。
週刊誌「FLASH」が報じたところによると、どうやら中森明菜さんと明穂さんの間には確執があったとのことです。
この記事では、
- 中森明穂さんの病気や死因について
- 中森明穂さんのwikiプロフや経歴
- 中森明穂さんの実家の場所
- 中森明穂さんは結婚していたのか?
- 中森明穂さんの葬儀に来なかった中森明菜さんとの家族仲について
について書いていきますのでよろしくお願いいたします。
中森明穂さんの病気や死因について
明穂さんが亡くなった原因はは肝硬変のようです。
「肝硬変でした。亡くなる2週間ほど前から、ヘルニアも併発して…
…。毎日、ベッドの上でしゃべったり、看護師さんに付き添われて
お風呂に入れてもらったりして、亡くなる2、3日前に見舞いに行っ
たときも、元気そうだったんです。亡くなったのは、5月27日。急
に危篤だからと、病院から電話があって……。それで、きょうだい
も集まって、お見送りしました」
出典:FLASH
肝硬変とは肝臓の組織が硬くなり,本来の働きをしなくなってしまう病気。
出典:よく分かる疾患啓発
B型やC型肝炎ウイルス感染、アルコール、非アルコール性脂肪性肝炎などによって肝臓に傷が生じますが、その傷を修復するときにできる「線維(コラーゲン)」というタンパク質が増加して肝臓全体に拡がった状態のことです。肉眼的には肝臓全体がごつごつして岩のように硬くなり、大きさも小さくなってきます。顕微鏡でみると肝臓の細胞が線維によって周囲を取り囲まれている様子が観察できます。そこで肝硬変になると、肝臓が硬いために起こる腹水や食道静脈瘤と、肝臓機能が低下するために起こる肝性脳症や黄疸が問題となります。
出典独立行政法人国立国際医療研究センター 肝炎情報センター
しかも肝硬変そのものを治療できる薬剤はほとんどないとのこと。
肝硬変全体での男女の比率は、2~3対1で男性が多いですが、女性になりやすい病気のようです。
世界的にはアルコールが肝硬変の原因として重要で、アルコールの消費量と肝硬変による死亡率とはよく相関している。女性では男性の約3分の2の飲酒量で肝硬変になる。
出典:コトバンク
実際芸能人の方でも肝硬変が原因でお亡くなりになってる方はたくさんいらっしゃいました。
・元女流棋士でタレントの林葉直子。「いつ死んでもしょうがない感じ」などとし「肝硬変」の末期であることをテレビで告白
・「題名のない音楽会21」などでお茶の間でもおなじみになっていた羽田健太郎
・石原裕次郎は、肝硬変に糖尿病も発症していた
・高島彩の父親であり俳優の竜崎勝も肝硬変だけではなく肝細胞ガンも併発していた
・武内伸(たけうち・しん)は“ラーメン王”として有名でしたが、48歳の若さでなくなった死因も肝硬変だった
・エノケンこと榎本健一
・美空ひばり出典:NAVER まとめ
中森明穂さんはさらに痛みがつよいヘルニアを併発していたということで、とてもつらい状況であったのではないでしょうか。
改めてお悔やみ申し上げます。
中森明穂さんのwikiプロフや経歴
www
判らんままばってん
明穂 お届けに上がりました〜
( ´ ▽ ` )ノ
“@oyakodon4649: 中森明穂ー!RT @Laney_GH_100TI: @oyakodon4649 タカほー‼ ヽ( ´ ▽ ` )ノ” pic.twitter.com/fP0zuSJ5ox— SKYLINE ECR33 4dr MT (@SKYLINE_E_ECR33) 2013年8月10日
中森 明穂(なかもり あきほ)
生年月日 1966年10月12日~2019年5月27日(享年52歳)
出身地 東京都清瀬市
血液型 B型
兄弟 元女優で中森明菜の実妹(6人兄弟姉妹(二男四女)の6番目、四女)
中森明菜さんと明穂さんの年齢は一つ違い。
姉を追うように芸能界入りを果たしました。
初仕事は、ラジオパーソナリティで「お姉ちゃんに負けずに頑張ります」と意気込んでいたようです。
明穂さんはデビュー後、テレビドラマに出演し、女優の道へ進みます。
しかし「明菜さんの妹」という名でしか売れていないと当時は噂されていたようで、それをふっ飛ばそうとして過激なビデオや写真集を発表しました。
姉の明菜さんは反対し激怒したようです。
それでも反対を押し切って発売前には話題になりました。
ですがセールスが伸びること無くそれ以降は目立った活動も無くなり、表舞台から名を消したとwikiには掲載されています。
明菜さんとは、この頃から関係が断絶したとのこと。
中森明穂さんの実家の場所
さて、中森さんの葬儀は「東京都清瀬市の葬祭ホール」で執り行われました。
wikiの出身地にも清瀬市とあるので、間違いないかと思います。
東京都清瀬市の葬祭ホールで、しめやかに営まれた。火葬場は併設されていないものの、最大120人ほどが参列できる、多摩地区で最大規模の葬祭場だ。
出典:FLASH
とあるので、該当しそうな葬儀場の名前は、「シティーホール清瀬」ではないかな?
清瀬市で一番大きくて、ホールと名のつくところはここしかありませんでした。
そして、中森家の実家の場所について。
調べてみたところ、中森明菜さんのファンのブログに、中里3丁目の看板の画像があり、中森家の実家はこのあたりにあると書かれていました。
さらに実家の画像も!
出典:明菜ファンの囁き
どうやらここが、中森明菜さんや明穂さんのご実家のようです。
中森明穂さんは結婚していたのか?
ところで、明穂さんはご結婚されていたのでしょうか。
FLASHの報道では父親の明男さんと二人で暮らしていたと言っております。
「明穂と2人でこの家に住んでいましたから……。ひとりぼっちになっちゃった。お葬式をやったばっかりで、すぐに納骨するのは寂しい。家族内でも、なるべく骨は置いておこうよって話しています」(明男さん)
ということは、恐らくご結婚はされていないようですね。
配偶者が亡くなった可能性もありますが、お父様がインタビューで明穂さんのことをまだ結婚しないで家に残っているとおっしゃっておりました。
私ももういつ逝ってもおかしくない歳ですから。まだ結婚しないで家に残ってる(明菜の)妹の明穂もね、明菜がテレビに出るんじゃないかと、歌番組があるとテレビをつけては『小泉今日子ちゃんは今日も出ていたのに、なんでうちのお姉ちゃんはテレビに出ないの?』って言いながら、毎日、目を皿のようにして見ています。ディナーショーにも“行きたい、行きたい”と言っていましたから」
出典:女性自身
また、明穂さんは「2010年に、明穂さんは交通事故に遭い、右足に後遺症が残った」とあります。
足が不自由に鳴ってはデートに出かけたりすることも難しかったでしょう。
中森明穂さんの葬儀に来なかった中森明菜さんとの家族仲
今回私が一番気になってることは、兄弟の葬式に来なかった中森明菜さん。
もちろん、明穂さんは明菜さんの反対を押し切り、「過激な写真」を出してしまったしそれから疎遠になるまではわからなくもないのですが、、、
本当のところはわかりませんが『都合が悪い』と言って兄弟のお葬式に、出ないのが不思議でなりません。
仮にも血を分けたご兄弟。
自分自身に当てはめて考えても、やはり不思議です。
明穂さんたちは六人兄弟で子供の頃はとても仲が良かったみたい。
絶縁から24年--。かつては手を取り合った妹・明穂さんの葬儀に姿を見せなかった明菜の心境を、長年、彼女を取材する芸能リポーターの城下尊之氏はこう察する。
「明菜が明穂さんの死を知れば、自分より若くして亡くなったことに、強いショックを受けるはず。しかし溝は深く、どうしても家族と顔を合わせたくないのでしょう。きっとひとりで悲しみ、落ち込むのでしょうね」
出典:FLASH
そんなに溝が深かったのでしょうか?
調べてみると明穂さんだけでなく、父の明男さんともお母さんの遺言が原因かのように女性自身が取り上げていました。
その記事の全文です。
6月10日は、中森明菜(48)の母・千恵子さんが亡くなって20回目の命日だった。だが今年の命日に明菜が墓参りする姿は、最後まで見られなかった。最愛の母が眠る墓所に来られないほど、明菜の状態は悪いようだ。本来なら、そんな苦境の明菜が頼るべき実家の父・明男さん(80)をはじめとする家族。だが明菜は千恵子さん亡き後、“断絶”状態にある。95年の千恵子さんの葬儀以来、家族の誰とも明菜は会っていないのだ。
この日、明菜が参ることの叶わなかった千恵子さんの眠るお墓。実は、この墓には重大な“秘密”が隠されている。この墓は、“中森家”の墓ではない。千恵子さんが生まれた実家の墓なのだ。中森家に嫁いだ千恵子さんが、実家の墓に入っているとは――。本誌は、真相を聞くため、明菜の父・明男さんを直撃した。いつものように快く取材に応じてくれた明男さんは、記者が疑問をぶつけると顔色を変えた。千恵子さんが亡くなる前に、いったい何があったのか。
「お母ちゃんは晩年がんになってね……。『家族の迷惑になるから』と家を出て一人暮らしを始めたんです。お墓のことも生前、お母ちゃんが自分から言い出したんですよ。千恵子は昔から『父親が眠る墓に一緒に入りたいから、中森家じゃなくて実家の墓に入りたい』って言ってね。最初は家族全員びっくりですよ。でも一度言い出したら聞かない性格ですから、最後は『お母ちゃんらしくっていいんじゃない』と家族会議を開いて決めたんです」
なんと、千恵子さん自ら、中森家の墓に入ることを拒否したのだという。「繊細な明菜ちゃんは、そのお墓のことが胸につかえているのかもしれませんね」と記者が聞くと、明男さんは肩を落としてこう答えた。
「たしかに、あの子は“お母ちゃん命”でしたからね……。病院にも何回も見舞いに行っていたから、明菜はその話も本人(千恵子さん)から聞いていたと思います。明菜がどう思ったかは、お母ちゃんが亡くなってから一度も会ってない私には、残念ながらわかりません……」
明菜がもっとも頼りにしていた千恵子さんが、死の直前、家族との“別離”を選んでいたという衝撃の真実。もしそうだとすれば、明菜と家族の“断絶”の本当の原因は、この千恵子さんの“遺言”にあったのかもしれない。
出典:女性自身
明菜さんのお母さんがお墓を別にしたいと言ったのは、「実父と一緒がいい」という他にも理由があるのでは?と思ってしまったフカボリハチ公。
六人もお子さんを産んで、恐らく夫婦仲も良好だったはずなのに明男さんとは別々のお墓に入ることを望んだのは謎すぎます…。
どっちにしろ、明穂さんが安らかに天国へいけますよう願っております…!